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「まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。」(イザヤ65章17節)

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今回は、旧約聖書のイザヤ書から22回目のメッセージです。前回、「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。」(イザヤ64章8節)とのテーマからメッセージを語りました。この節は続いて、「私たちは皆、あなたの手で作られたものです。」あります。現実はどうであれ、神こそ私たちの創造主です。そして私たちを造り替えることができる方です。イザヤは、神の創造の御業に目を向けていきます。9節には、「主よ。どうかひどく怒られないでください。いつまでも、咎を覚えないでください。どうか今、私たちが皆、あなたの民であることに目を留めてください。」と祈っています。神様こそ私たちを造り変えることができる方、また、私たちの罪を赦すことができる方です。そして、ご自身の約束を堅く守られる方です。私たちはみな、神の民である。今、そのことに目を留めてくださいと、神に向かって祈っています。この祈りは、64章に書かれている祈りの一つでしかありませんが、これらのイザヤの祈りに神様はどのように答えておられるのでしょうか。今日は神の応答について学んでみたいと思います。
神の応答は3つの部分からなっています。まず、異邦人が福音を聞き、神の民とされて行くという応答です。これは、キリストが成してくださる十字架の贖いを信じる民が起こされて、新約聖書の時代が来る、その約束につながって参ります。2つ目は、イスラエルの民への神の裁きは変わることがないとの厳しい応答です。しかしその中にも残された民がおり、この人たちは神の祝福や導きの中に生きていくと言う希望の応答です。3番目には、新しい天と新しい地を神は創造されると言う約束の応答です。この新しい天と新しい地では、人々は病や災いからも解放され、全き平和が実現して行きます。今日はこれらの応答に、目を止めながら、メッセージを語って参ります。それでは、65章を読んでみてください。
65章1節には、「わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、わたしはここだ、わたしはここだと言った。」と書かれています。わたしに問わなかった者たち、わたしを探さなかった者たちとは、異邦人のことであると理解できます。まず、イザヤの問いかけに対して、神は新しい民を用意しておられるとお答えになります。この預言的なメッセージは、イエス・キリストを信じる異邦人が多く起こされて行くことによって、実現して参ります。私たちも、長年、創造主なる真の神を無視して生きてきた異邦人です。ある意味、イスラエルの民が神の恵みに応えて生きることができなかった、それゆえに新約の時代が始まったとも言えます。イエスの十字架の贖いを信じる新しい民が全世界に起こっていることは、神のご計画であるのです。
2番目の神の答えは、2節から7節にあるように、偶像礼拝に心を奪われ、自らを誇っているイスラエルの民を神の裁かれると言うことです。2節には、彼らは反逆の民、3節には、「この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、園の中でいけにえをささげ、」と続いています。園の中で生贄を捧げる、これは偶像礼拝に陥っている民の姿です。「墓地にすわり、・・豚の肉を食べ、」と4節にありますが、墓地に座るとは死者の霊と交わりを持とうとする霊媒の姿です。また豚は律法で食べることを禁じられている動物で、聖さを求めることを忘れて罪の中に生きているイスラエルの民を表しています。6節には、「見よ。これは、わたしの前に書かれている。」とあり、それは神の審判の書に彼らの行いが書かれていると理解することができます。続いて、「わたしは黙っていない。必ず報復する。」とありますので、イザヤが目撃するエルサレムの荒廃の姿は、神の裁きそのものであることが明らかにされています。
8節には、「主はこう仰せられる。『ぶどうのふさの中に甘い汁があるのを見れば、それをそこなうな。その中に祝福があるから。』と言うように、わたしも、わたしのしもべたちのために、その全部は滅ぼさない。」とあります。これは、イスラエルの民の中にも、わたしの僕たちと呼ばれる残された民がいて、いつも神に向かって、民のために執り成しの祈りを捧げている信仰者がいたことがわかります。この人たちへの祝福は、13から16節で、何重にも強調して述べています。いくつか見てみましょう。「見よ。わたしのしもべたちは食べる。しかし、あなた方は飢える。・・わたしのしもべたちは飲む。しかし、あなたがたは乾く。見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、あなたがたは恥を見る。私のしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。」このように語り、悔い改めようとしないイスラエルのために、あなた方はどちらを選ぶのですかと、神が愛を持って語りかけています。16節の後半の言葉を読んでみます。「先の苦難は忘れられ、私の目から隠されるからだ。」と書かれています。神様は罪に対して厳しい方ですが、悔い改めようとする者には祝福を注ぎ、回復をもたらすことのできるお方です。
17節には、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」と書かれています。新しい天と新しい地の文脈の中で、神はエルサレムを、新たに創造することを言及しています。創造する、この言葉は無から有を創造することを意味する言葉です。参照創世記1:1。17節から25節までは、終末に起こる新しい天と新しい地の光景が預言されています。19節には、「わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。」とあります。それは、人類に対する呪いからの解放が新しいエルサレムで始まって行くことが預言されています。人類はもはや呪いの下にではなく、神の祝福の下に置かれるのです。続いて20節には、「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。」とあります。旧約時代では長寿は神の祝福のしるしです。人類が長寿を楽しみ、呪いからの解放がおこることに言及しています。参照黙示録21章4節。21‐23節では労働が神によって祝福されて行くことを。また24節では、神との深い交わりが回復し、神と共に生きる人生が始まることを、さらに、25節では、全き平和がこの地上にもたらされて行くことが預言されています。皆さんいかがでしょうか。ご一緒に、神に新しい天と新しい地を創造してくださるように、また、平和がこの地にもたらされるように祈ってまいりましょう。
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神の応答は3つの部分からなっています。まず、異邦人が福音を聞き、神の民とされて行くという応答です。これは、キリストが成してくださる十字架の贖いを信じる民が起こされて、新約聖書の時代が来る、その約束につながって参ります。2つ目は、イスラエルの民への神の裁きは変わることがないとの厳しい応答です。しかしその中にも残された民がおり、この人たちは神の祝福や導きの中に生きていくと言う希望の応答です。3番目には、新しい天と新しい地を神は創造されると言う約束の応答です。この新しい天と新しい地では、人々は病や災いからも解放され、全き平和が実現して行きます。今日はこれらの応答に、目を止めながら、メッセージを語って参ります。それでは、65章を読んでみてください。
65章1節には、「わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、わたしはここだ、わたしはここだと言った。」と書かれています。わたしに問わなかった者たち、わたしを探さなかった者たちとは、異邦人のことであると理解できます。まず、イザヤの問いかけに対して、神は新しい民を用意しておられるとお答えになります。この預言的なメッセージは、イエス・キリストを信じる異邦人が多く起こされて行くことによって、実現して参ります。私たちも、長年、創造主なる真の神を無視して生きてきた異邦人です。ある意味、イスラエルの民が神の恵みに応えて生きることができなかった、それゆえに新約の時代が始まったとも言えます。イエスの十字架の贖いを信じる新しい民が全世界に起こっていることは、神のご計画であるのです。
2番目の神の答えは、2節から7節にあるように、偶像礼拝に心を奪われ、自らを誇っているイスラエルの民を神の裁かれると言うことです。2節には、彼らは反逆の民、3節には、「この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、園の中でいけにえをささげ、」と続いています。園の中で生贄を捧げる、これは偶像礼拝に陥っている民の姿です。「墓地にすわり、・・豚の肉を食べ、」と4節にありますが、墓地に座るとは死者の霊と交わりを持とうとする霊媒の姿です。また豚は律法で食べることを禁じられている動物で、聖さを求めることを忘れて罪の中に生きているイスラエルの民を表しています。6節には、「見よ。これは、わたしの前に書かれている。」とあり、それは神の審判の書に彼らの行いが書かれていると理解することができます。続いて、「わたしは黙っていない。必ず報復する。」とありますので、イザヤが目撃するエルサレムの荒廃の姿は、神の裁きそのものであることが明らかにされています。
8節には、「主はこう仰せられる。『ぶどうのふさの中に甘い汁があるのを見れば、それをそこなうな。その中に祝福があるから。』と言うように、わたしも、わたしのしもべたちのために、その全部は滅ぼさない。」とあります。これは、イスラエルの民の中にも、わたしの僕たちと呼ばれる残された民がいて、いつも神に向かって、民のために執り成しの祈りを捧げている信仰者がいたことがわかります。この人たちへの祝福は、13から16節で、何重にも強調して述べています。いくつか見てみましょう。「見よ。わたしのしもべたちは食べる。しかし、あなた方は飢える。・・わたしのしもべたちは飲む。しかし、あなたがたは乾く。見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、あなたがたは恥を見る。私のしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。」このように語り、悔い改めようとしないイスラエルのために、あなた方はどちらを選ぶのですかと、神が愛を持って語りかけています。16節の後半の言葉を読んでみます。「先の苦難は忘れられ、私の目から隠されるからだ。」と書かれています。神様は罪に対して厳しい方ですが、悔い改めようとする者には祝福を注ぎ、回復をもたらすことのできるお方です。
17節には、「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」と書かれています。新しい天と新しい地の文脈の中で、神はエルサレムを、新たに創造することを言及しています。創造する、この言葉は無から有を創造することを意味する言葉です。参照創世記1:1。17節から25節までは、終末に起こる新しい天と新しい地の光景が預言されています。19節には、「わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。」とあります。それは、人類に対する呪いからの解放が新しいエルサレムで始まって行くことが預言されています。人類はもはや呪いの下にではなく、神の祝福の下に置かれるのです。続いて20節には、「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。」とあります。旧約時代では長寿は神の祝福のしるしです。人類が長寿を楽しみ、呪いからの解放がおこることに言及しています。参照黙示録21章4節。21‐23節では労働が神によって祝福されて行くことを。また24節では、神との深い交わりが回復し、神と共に生きる人生が始まることを、さらに、25節では、全き平和がこの地上にもたらされて行くことが預言されています。皆さんいかがでしょうか。ご一緒に、神に新しい天と新しい地を創造してくださるように、また、平和がこの地にもたらされるように祈ってまいりましょう。
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