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「イエスの母マリヤの夫、ヨセフの信仰の決断」マタイ1:18-25

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メリークリスマス。皆様とご一緒に、2022年12月25日、このクリスマスの日に、イエス・キリストの誕生をお祝いしたいと思います。今まで4週間にわたって、アドベントの時期を過ごして参りました。毎週イエス・キリストのご生涯に関する聖書の箇所を旧約聖書から選んで読んで参りました。それらの箇所は、ある意味イエス・キリストを指し示して、救い主の働きをよく説明している箇所であったと思います。振り返ってみます。アドベントの1週目は、エレミヤ29章11節から、キリストは私たちに新たなご計画を立てておられる。その計画は「平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものだ。」とのみ言葉を読みました。続いて2週目は、詩篇の23編からイエス様は良い羊飼いとして生まれてくださる。イエス様こそ、私たちの人生を導いてくださる良い羊飼いであることを覚えました。3週目は、イザヤ9章6節から、イエス様こそ、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる方であることを覚えました。そして4週目には、イザヤ53章4節と5節から、この救い主は私たちの罪を背負って、十字架に着くために生まれてくださったことを覚えました。そこには、イエス様は、「私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。・・・私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。」と書かれています。イエス様こそ十字架に着くために生まれ、私たちの罪と咎をその身に背負って、贖いの技をなされた方です。続いて、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」と書かれています。このような聖書の箇所を読みながら、私たちの救い主として生まれたイエス様の誕生を待ち望んで参りました。イエス・キリストこそ、栄光の神、平和の君としてお生まれになったのです。この方は私たちの羊飼いとして、今でも私たちの人生を聖霊によって導き、私たちのために祈ってくださっています。その事に気づいていきたいと思います。
さて、今日はクリスマスの礼拝です。クリスマスとは、キリストとマス(礼拝する、お祝いする)との言葉からできています。その意味は、キリストを礼拝する日であり、キリストの誕生お祝いする日です。神が人としてこの地上にお生まれになった。これは私たちの理解を超える出来事です。神の大きな奇跡の技、それがイエスの誕生です。そこに登場するマリヤとヨセフの信仰を通して、私たちも一緒にキリストの誕生をお祝いしたいと思っています。同時に、マリヤやヨセフ、彼らの信仰と決断があったからこそクリスマスが起こったことにも気づきたいと願っています。
それではこの救い主の誕生はどのようなものだったのでしょうか。まずマタイ1章を開いてみます。1章1節にアブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図と書かれています。アブラハムは信仰の父と呼ばれる方で、神のみ言葉を信じて神との信仰に一歩踏みだした者です。彼は、今から約4000年前の族長の一人であり、神はその子孫によって全世界を祝福するとの約束を彼に与えたのです。参照、創世記12:1-3。地上のすべての民族はあなたによって祝福されると約束されたアブラハムの子孫として、イエスは生まれたのです。またダビデは、イスラエルで最も偉大な王であり、神は、彼の世継ぎの子によって彼の王国の王座はとこしえまでも堅く立つとの約束を与えておられます。参照、第二サムエル7:12-16。その王座は永遠に確立されるとの約束の成就として、イエスは生まれたのです。イエスは、アブラハムの子孫、ダビデの子孫である。この系図を通して、まず、その事実が教えられています。イエスは旧約に約束された祝福を受け継ぐ者として誕生したのです。
マタイは、イエスの母マリアの夫であるヨセフの信仰を取り上げています。それは、ヨセフはダビデの子孫であったからです。イエスはダビデの子孫として生まれ、イエスの王国はダビデの王国を継続するものであることを明らかにしようとしています。マタイ1章16節に、「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリアからお生まれになった。」と書かれています。キリストとは救い主、メシアを意味するギリシャ語(クリストス)からの音訳です。イエスとは、ヘブライ語ではイエシュアであり、その言葉のギリシャ語(イエス―ス)の音訳です。それは、主は救いとの意味を持つ言葉です。それではヨセフの立場になってクリスマスの出来事、イエスの誕生を見てみましょう。18節には、「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。」と書かれています。彼らはまだ一緒に生活していない婚約の時期の出来事です。当時は婚約も結婚と同様に考えられており、その婚約の期間に、マリアが身ごもってしまったと言う出来事が起こります。マリアはヨセフにこのことを相談したかどうかは、確かではありません。ルカの福音書から天使とマリヤの会話を見てみます。ルカの福音書1章26-38節を読んでみてください。その内容は以下のような内容になります。
マリヤにみ使いが現れたのです。み使いは、「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます(28)。あなたは神から恵みを受けたのです(30)。ご覧なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい(31)。」「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります(32)。」そしてあなたの親類エリサベツも、「あの年になって男の子を宿しています。神にとって不可能なことは一つもありません(37)。」と、彼女に語りかけます。彼女は、「ほんとうに、私は、主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように(38)。」と答えたのです。そのような内容ですが、彼女はこの出来事を信仰を持って受け止めます。そして彼女は、この出来事を自分の心に秘めていたのではと思われます。マリヤの妊娠のニュースを聞いて、ヨセフは厳しい決断を迫られます。マリアと一緒になるのか、それとも彼女を律法に従って石打の刑にすべきなのか、または、このことを彼の心に留めて、彼女を内密にさらせることにするのか。このような判断に悩むことになるのです。それは、大変な決断です。マリヤから部分的に打ち明けられていたとしても、いやそうでなかったとしても、そんな葛藤の中で彼は最初の決断をします。それがマタイ1章19節に書かれています。「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」とあります。夫のヨセフは神に対しても、律法に対しても正しく行きたいと願っていた者です。18節には、聖霊によって身重になったことがわかったと書かれていますが、この分かったとは実に驚きの響きを持つ強い言葉です。驚きの響きは、大きな困難、不安、そして大きな決断を伴うのです。そのような厳しい状況にヨセフは置かれたのです。そして彼女を内密に去らせようと決めた。それが彼の最初の決断でした。20節では、「彼がこのことを思い巡らしていた時」と書かれています。私の決断は正しいものなのか、彼女の人生はどうなるのだろう、などとしばらく彼は考え続けることになります。しかしそのような時に、主の使いが夢に現れて彼に語りかけるのです。神から直接的な導きをここでヨセフは受けるのです。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(21)」と。主の使いはヨセフに夢の中で会い、妻マリアを迎えて、結婚生活を始めるようにと語りかけます。まだ男の人を知らないマリア。この女性が男の子を産む。聖霊によってマリアは妊娠をする。人の理解を超えた神の啓示の言葉です。神の啓示の働きがこのクリスマスに起こったのです。ヨセフはここで、大きな決断、新たに神に従う信仰の決断をするのです。22節から、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。」と書かれています
イエスの父は、公にはヨセフですが、血筋がつながっているわけではありません。聖書は明白に聖霊によってマリヤは身ごもったと伝えているからです。しかし、神の導きを信じてマリヤを自分の妻とし、彼女と家族を持ち、イエスを育てる、その信仰の決断をヨセフはしたのです。マリヤの信仰も大切です。同時に、ヨセフの神の導きを信じる、信仰を伴う決断が最初のクリスマスの出来事にはあったのです。私たちもいろいろな決断をします。状況を吟味して、ふさわしいと思う判断をします。しかし、それ以上の神の導きを信じて信仰の決断をする時があるのです。ヨセフやマリヤの決断は、神のみことばを受け入れた決断、試練や困難を伴う決断です。それ故にこのクリスマスがあることを覚えて、私たちも神の導きに従う者でありたいと思います。
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さて、今日はクリスマスの礼拝です。クリスマスとは、キリストとマス(礼拝する、お祝いする)との言葉からできています。その意味は、キリストを礼拝する日であり、キリストの誕生お祝いする日です。神が人としてこの地上にお生まれになった。これは私たちの理解を超える出来事です。神の大きな奇跡の技、それがイエスの誕生です。そこに登場するマリヤとヨセフの信仰を通して、私たちも一緒にキリストの誕生をお祝いしたいと思っています。同時に、マリヤやヨセフ、彼らの信仰と決断があったからこそクリスマスが起こったことにも気づきたいと願っています。
それではこの救い主の誕生はどのようなものだったのでしょうか。まずマタイ1章を開いてみます。1章1節にアブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図と書かれています。アブラハムは信仰の父と呼ばれる方で、神のみ言葉を信じて神との信仰に一歩踏みだした者です。彼は、今から約4000年前の族長の一人であり、神はその子孫によって全世界を祝福するとの約束を彼に与えたのです。参照、創世記12:1-3。地上のすべての民族はあなたによって祝福されると約束されたアブラハムの子孫として、イエスは生まれたのです。またダビデは、イスラエルで最も偉大な王であり、神は、彼の世継ぎの子によって彼の王国の王座はとこしえまでも堅く立つとの約束を与えておられます。参照、第二サムエル7:12-16。その王座は永遠に確立されるとの約束の成就として、イエスは生まれたのです。イエスは、アブラハムの子孫、ダビデの子孫である。この系図を通して、まず、その事実が教えられています。イエスは旧約に約束された祝福を受け継ぐ者として誕生したのです。
マタイは、イエスの母マリアの夫であるヨセフの信仰を取り上げています。それは、ヨセフはダビデの子孫であったからです。イエスはダビデの子孫として生まれ、イエスの王国はダビデの王国を継続するものであることを明らかにしようとしています。マタイ1章16節に、「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリアからお生まれになった。」と書かれています。キリストとは救い主、メシアを意味するギリシャ語(クリストス)からの音訳です。イエスとは、ヘブライ語ではイエシュアであり、その言葉のギリシャ語(イエス―ス)の音訳です。それは、主は救いとの意味を持つ言葉です。それではヨセフの立場になってクリスマスの出来事、イエスの誕生を見てみましょう。18節には、「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。」と書かれています。彼らはまだ一緒に生活していない婚約の時期の出来事です。当時は婚約も結婚と同様に考えられており、その婚約の期間に、マリアが身ごもってしまったと言う出来事が起こります。マリアはヨセフにこのことを相談したかどうかは、確かではありません。ルカの福音書から天使とマリヤの会話を見てみます。ルカの福音書1章26-38節を読んでみてください。その内容は以下のような内容になります。
マリヤにみ使いが現れたのです。み使いは、「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます(28)。あなたは神から恵みを受けたのです(30)。ご覧なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい(31)。」「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります(32)。」そしてあなたの親類エリサベツも、「あの年になって男の子を宿しています。神にとって不可能なことは一つもありません(37)。」と、彼女に語りかけます。彼女は、「ほんとうに、私は、主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように(38)。」と答えたのです。そのような内容ですが、彼女はこの出来事を信仰を持って受け止めます。そして彼女は、この出来事を自分の心に秘めていたのではと思われます。マリヤの妊娠のニュースを聞いて、ヨセフは厳しい決断を迫られます。マリアと一緒になるのか、それとも彼女を律法に従って石打の刑にすべきなのか、または、このことを彼の心に留めて、彼女を内密にさらせることにするのか。このような判断に悩むことになるのです。それは、大変な決断です。マリヤから部分的に打ち明けられていたとしても、いやそうでなかったとしても、そんな葛藤の中で彼は最初の決断をします。それがマタイ1章19節に書かれています。「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。」とあります。夫のヨセフは神に対しても、律法に対しても正しく行きたいと願っていた者です。18節には、聖霊によって身重になったことがわかったと書かれていますが、この分かったとは実に驚きの響きを持つ強い言葉です。驚きの響きは、大きな困難、不安、そして大きな決断を伴うのです。そのような厳しい状況にヨセフは置かれたのです。そして彼女を内密に去らせようと決めた。それが彼の最初の決断でした。20節では、「彼がこのことを思い巡らしていた時」と書かれています。私の決断は正しいものなのか、彼女の人生はどうなるのだろう、などとしばらく彼は考え続けることになります。しかしそのような時に、主の使いが夢に現れて彼に語りかけるのです。神から直接的な導きをここでヨセフは受けるのです。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリアを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(21)」と。主の使いはヨセフに夢の中で会い、妻マリアを迎えて、結婚生活を始めるようにと語りかけます。まだ男の人を知らないマリア。この女性が男の子を産む。聖霊によってマリアは妊娠をする。人の理解を超えた神の啓示の言葉です。神の啓示の働きがこのクリスマスに起こったのです。ヨセフはここで、大きな決断、新たに神に従う信仰の決断をするのです。22節から、「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。」と書かれています
イエスの父は、公にはヨセフですが、血筋がつながっているわけではありません。聖書は明白に聖霊によってマリヤは身ごもったと伝えているからです。しかし、神の導きを信じてマリヤを自分の妻とし、彼女と家族を持ち、イエスを育てる、その信仰の決断をヨセフはしたのです。マリヤの信仰も大切です。同時に、ヨセフの神の導きを信じる、信仰を伴う決断が最初のクリスマスの出来事にはあったのです。私たちもいろいろな決断をします。状況を吟味して、ふさわしいと思う判断をします。しかし、それ以上の神の導きを信じて信仰の決断をする時があるのです。ヨセフやマリヤの決断は、神のみことばを受け入れた決断、試練や困難を伴う決断です。それ故にこのクリスマスがあることを覚えて、私たちも神の導きに従う者でありたいと思います。
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